Fuu. -楓-という名前のルーツをご紹介します。
といっても、私の個人的なプロフィールです。
少し長いので、軽い気持ちで、足をのばして、
どうぞゆっくりくつろいで。
この先、どう生きる?
20代前半。
地元で会社員をしていて、3年目が過ぎようとしていたころのこと。
ルーティンワークに慣れてしまって、そこではこれ以上成長することはきっとないだろうと感じていた私は、自分の将来について考えていました。
そして次の2つの選択肢がぼんやりと頭に浮かびました。
① 本気の婚活をして、結婚して、家庭をもち、今の仕事を続けていく。
② キャリアアップを目指して、何らかのスキルを磨き転職活動する。
でも、そのどちらも、ピンと来なかったのです。
ただ一つ、強く思ったことは、
「死ぬときに、
<人生、思いっきり生き切ったな~。あ~楽しかった!!>
そう思って死にたい」
ということでした。
当時の私には ①と②のどちらの選択肢も、自分が思いっきり生きているビジョンが浮かばなかったのです。
自分が人生をかけてエネルギーを注げることって、何だろう?
約2年ぐるぐると考えたけれど、じっとして考えているだけでは、その答えは見つかりませんでした。
そして私は、長年の夢だった英語習得を兼ねて、カナダへ旅立ちました。
遠い海の向こうで。
カナダに到着した2日後、私は発生からかなり遅れて、東北の地震を知りました。
インターネットで公開されているニュース。
目を疑うような映像に、体が芯から冷えていくような恐怖を感じました。
地震発生からまもなくして、カナダ国内でも支援活動が行われはじめました。
日本から遠い海の向こうにいた私は、生きてきた中ではじめて、
「自分にも何かできることはないだろうか?」
という思いが生まれました。
逃げ癖の弊害
私はそれまで、「〇〇は嫌。」 といったように、
“やりたいこと”ではなく“やりたくないこと”を基準に人生を選択してきました。
それは、選択式というより、消去法の人生だったように思います。
そんな風に、嫌なことから逃げてばかりだった私は、
自分に自信がなく、自分を表現したり、自己主張することがとても苦手でした。
こんな自分にできることなんて、何一つありませんでした。
世の中のために役に立とうとする前に、私は自分の殻を破り、きちんと自分の足で立つ必要がありました。
ちゃんと、自己主張すること。自分にとってとてつもなく高いハードルだったけど、
カナダで生きていくために、
私はレジュメを配り歩き、つたない英語で自分をアピールし、必死で仕事を探しました。
思考の変化
ネガティブで、自分を信頼していなかった私は、すぐに凹み、すぐに拗ねる癖がありました。
当初、外国人と共に働くなかで、自分は必要とされてないと感じたり、上手に話せなかったり、毎日のようにネガティブな思考に陥る癖が出ていました。
だけど、せっかく意を決して旅立ち、限りがあるカナダでの生活を、
拗ねてじめじめ過ごして、時間を浪費するなんてもったいない。
そう思えるようになってから、少しずつ、ネガティブを引きずることなく、異なる角度からの解釈でポジティブな思考を選択できるようになりました。
そして、ネガティブな思考は、そのほとんどが自分の間違った思い込みによって引き起こされていることに気がつきました。
続きはコチラ→小さな一歩が大きな変化をうむ